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米松の大径木
TEXT & ILLUSTRATION 岡村裕次
構造設計者の存在
建築家は大きなモノが得意です!

ポピュラーである為には、何事もわかりやすい事が大切です。それは建築、美術、音楽、経済、政治等なんにでも当てはまる事でしょう。良い事なのか悪い事なのかに関わらずポピュラーになりたければ通らねばならない関門というわけです。
誰にでもわかりやすくあるためには理論や理屈を飛び越えて直感的に「面白い」、「可愛い」、「驚いた」、「すごい」といった感想を抱いてもらう必用があると思います。

建築もそのわかりやすさが必用である事を商業施設設計から学んだのか、視覚的表現にいろいろとチャレンジをしている建築が増えています。今までの建築界では空間と空間の繋がり方(構成)への関心が強かったのですが、それでは一般の人にとってはマニアックすぎてわかりにくいのです。「曲面や角が丸いもの」「すこし膨らんだり、へこんだり、斜めになったり」「薄かったり、細かったり、緻密だったり」「巨大だったり」そんなぱっと見ただけでわかりやすい視覚的表現が建築ファサードにどんどん入り込んで来ています。

「ファサード」については三回目のときにも書きましたが、建築の外側表面の事を指しています。商業施設のファサードは時代の流行に合わせて簡単に変えることができないと困るので、建物構造とは一切関係なく存在していました。となると、そのお化粧ファサードはインテリアデザイナーなどが手がけ、結局建築家はガラスの箱を作り、その中で細部の納まりの良さを競う程度しかできなくなってしまい行き詰まってしまいます。とはいえ、入居するテナントに合わせてファサードを作り込んでしまってもそのテナントが退去してしまったら建物の存在意義が喪失してしまい根本否定になってしまいます。

そこで、建築家はその視覚的表現の部材に構造的な役割を担わせ、建築物と不可分なように一体化させ始めました。ただ、そのお化粧はテナントが変わっても問題がないように抽象度を上げる事をしています。例えば青木淳氏の作品である「白い教会」伊東豊雄氏における「TOD’S(表参道店)」等です。
「白い教会」の一部ファサードになっている白リングは見た目の奇麗さ以外に屋根を支える立派な構造部材でもあります。「TOD’S」の全面ファサードは表参道のケヤキをモチーフとし建築外観を目立たせていますが、室内には柱はありません。ファサードのコンクリートは全て厚さ30センチの構造体となっているのです。構造と一体化したファサードは、中の機能からではなく場所性から発想するというのがブランドビル建築に対する伊東さんなりのメッセージなのでしょう。

構造以外にもファサードが日射負荷を減らす工夫がされていたりファサードが飾りだけではなく様々な役目を果たすようになって来ました。ファサードがかっこ良かったり、きれいだったりして目立つのは当然ですが、構造にも寄与し、空調負荷も減るといったようなことが最近の商業建築・事務所建築に増えてきました。このようにファサードに役割をいくつか同時に担わせる事で、商業建築の代名詞であった看板建築やガラス建築からの脱却を建築家は果たしたかったのです。

しかし、若手建築家はこの商業建築の流れをもう少し気楽に住宅にまで持ち込み始めました。クライアント自身が住宅においても「目立ちたい、かわいくしたい、かっこ良くしたい、生活感がなくても良い」と要求するようになり、住宅も商業施設のような外観、インテリアになってきたのです。こうして、建築家は構造にも装飾にもなるような視覚的工夫を住宅から公共建築という全ての範囲で考えていく事になっていったのです。

個人住宅のような小さなスケールでも商業建築のようなファサード設計や、ちょっと奇抜な外形ができるようになったのは技術的に支えてくれる「構造設計者」とのコラボレーションのおかげです。コンピューターの発達で昔は複雑過ぎてできなかった構造解析が個人の構造設計事務所レベルでもできるようになり、技術の進歩と相まって大プロジェクトでなくてもそれらを駆使する事が可能となったのです。小さな部材を集積させたものが構造体となったり、複雑な形も構造に参加したりして今まで寡黙だった建物の構造が急に自由となり、様々な表現をし始めたのです。いつのまにか建築家が表現する要素に「構造」が大きなウエイトを占めるようになっているというのが現状の建築界です。

構造を伴った装飾が「商業建築→住宅→もっと小さな家具」のレベルになり、美術になったのが第12回ベネチア・ビエンナーレ国際建築展の企画展示部門で最高賞の金獅子賞を獲得した石上純也の今までの作品です。
デビュー作である「table」は大きなテーブルがものすごい薄い天板と、ものすごい細い脚でできている作品でした。なぜこんな事ができるかというと「プレストレス」といわれる建築で使われている技法が使用されています。ものを載せると部材は自重と載せたものの荷重でたわんでしまうのですが、それをあらかじめ想定し、部材の中に逆の力を加えて造っておくのです。
この作品も組み立て前は渦巻きのように巻かれてしまっている天板(アルミ板)なのですが、これを脚に無理矢理止め付けていくと、普通のテーブルのように天板が地面と平行になるのです。つまりバネのようにアルミが戻ろうとする力と重力が釣り合う訳です。
どこに何グラムの何を置くかも厳密に決められており、それらが配置されてこのテーブルは完成します。これらの行為全てが構造計算の解析の要素に加えられ、それに基づいて部材が製作されるのです。(構造設計者:小西泰孝

金獅子賞を獲得した「アーキテクチャー・アズ・エア」と題された作品は極細のカーボンファイバーの柱が24本で構成された幅・高さ約4メートル、奥行き約13メートルの仮設建築らしいのですが、写真を見る限りほとんど何も見えません。光の当たり具合によって柱を認識し、ある瞬間だけ自分が細い線材で囲まれていることに気がつくという感じでしょうか。展示会場では壊れてしまったようですが、どのように組み立て、どれぐらいの細さで、どんな素材特性を持つものなら可能なのかを検討するのに構造設計者の存在は欠かせません。(構造設計者:佐藤淳)

石上氏の美術作品のように優秀な構造設計者と組んで構造部材を極限まで追い込み、ものすごく薄く、細く、更には逆に「アルミバルーン」のようにすごく大きくすると、それは建築でもありながら美術品としての「質」がでてくるのでしょう。現代美術でも巨大な作品や、極小の作品があると思うのですが、建築家は構造設計者の助けで技術的な裏付けを持ちながらぎりぎりの極限に挑む事ができ、新しい研ぎすまされた石上氏の表現が誕生するようになったのです。

最初に書いたわかりやすい為の「曲面や角が丸いもの」「すこし膨らんだり、へこんだり、斜めになったり」「薄かったり、細かったり、緻密だったり」「巨大だったり」という表現がクライアントに求められたとして、単なる付け足しの装飾だけでは寂しすぎます。それが構造に寄与するとなると建築として説得力が増し、そこに挑戦すべきフィールドができます。その流れの中で今の建築設計では構造設計者の存在がとても大きくなり、プロジェクトの正否を分ける存在になりつつあります。よって今柔軟な発想ができる構造設計者は皆さんとても忙しく、引手数多です。
こうなるとわかりやすいという軟派さももう少し高い次元に昇華し、いつのまにか建築デザインの中にうまく取り込まれてしまっていたのかもなぁーと思っています。
しかしその構造や設備の視覚的表現がいつのまにか商業建築以外でも建築の一番の目的となってしまい、良い構造設計者でないと良い建築ができないとなるのもなんだかおかしな事な訳で、そこの落とし穴にはまらないようにしないといけないと僕は思っています。

なお、石上氏の展覧会が東京・銀座愛知県豊田市で開催されています。建築の領域を広げ続ける石上氏の展覧会は必見です!


著者のプロフィールや、近況など。

岡村裕次(おかむらゆうじ)

1973年三重県生まれ
建築家(建築設計事務所TKO-M.architectsを主宰)
ウエブサイト  TKO-M.architects
建築がもつ不自由さが気に入っていながら美術の自由さに憧れるそんな矛盾した建築家です。

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